2018年5月28日 (月)

みちくさ日記

昨年色々あってから、長いことマンガを読めませんでした。

時間がないというより、手には取ってみるのですが、精神的に何かマンガを楽しめず、
マンガの世界に没入できず、集中して読み続けることが出来なかったのです。
ずっと以前にもこういうことはあったのですが、久々の経験。

そんな時、ふと手にしたのが道草晴子さん『みちくさ日記』(リイド社、2015年)でした。
相方が買って読んでいて、自分も読みたいと思って借りたままになっていた一冊です。
内容的には、帯の紹介そのままですが、こんな感じです。
「“13歳の天才”として「ちばてつや賞・優秀新人賞」を受賞するも、
 ほどなく精神科病院に入院した少女の、
 15年間に渡る涙と笑い、そして再生の記録」

自分のテンションに無理のないマンガだったからでしょうか、
通勤途中にちょっとずつ読み続け、気づくと読み終わっていました。
「絶望の先に希望を描くようなストーリーを」という
ちば先生の言葉が生きている感じで、素敵な読後感でした。
それから少しずつ、他のマンガも読むようになり、
徐々に楽しんで読むことも出来るようになってきています。

去年の思い出とともに、なんとなくしみじみする本になりました。

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2018年3月 1日 (木)

三原順さんに花束を2018

今年も、春の「三原順さんに花束を」ページを設置しました。
http://mihara.to/flower/2018/

今回は月のイメージにしました。
なぜ豚が…というのは、ムーンライティングだから、ということで。

昨年末から激しく忙しくなってしまい、私生活含めいろいろ滞っています。
が、もうそろそろ抜け出せるかもしれない…。
『charlotte sometimes vol.2』は、すみません、まだちょっと無理かも。
いつか作ります。必ず。

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2018年1月14日 (日)

ポーの家族

萩尾望都さんの『ポーの一族』は、小学館フラワーコミックス版を持っていました。
Img_8854_2 35年くらい前、古書店で5巻揃いで買った記憶です。
萩尾望都さんのコミックスは、当時すでに新書・全集・文庫など様々なサイズで
あちこちの出版社から刊行されていました。
当時は今よりずっとお金がなく、どれを買えば効率よく全作品が読めるのか、
「ぱふ」の情報などを元に手書きの作品リストを作って古書店をさまよっていました。

数年前、ふと読み返したくなって自分のコミックスを探しました。
しかし、『トーマの心臓』や『スター・レッド』はすぐに見つかるのに、
『ポーの一族』はどうしても5巻しか見つからず、1~4巻がありません。
大学時代に誰かに貸してそのままになってしまったか、
部室に置き忘れてきてしまったか、
そんな風に諦めていました。

昨年の夏。
父の葬儀など色々あり、実家に親戚が集まる機会があり、
両親が持っていた古いアルバムを何冊か、話の種に出しておきました。
皆様懐かしそうに見て行かれました。
その中に、兄の娘が生まれて間もない頃のアルバムがありました。
両親が赤ちゃんに会いに兄の家に行った時の写真でしょう。
日付は1992年3月。
よくある家族の写真です。

ぼんやりとそのアルバムを眺めていたら、ふと、
兄の本棚に『ポーの一族』のフラワーコミックスが並んでいるのに気づきました。
しかも1~4巻だけ、5巻がありません。
…めちゃくちゃ怪しい。
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「ねー、これ、ボクのだと思うんだけど…」

かくして昨年末、自分の手元に『ポーの一族』の4冊が帰ってきました。
5冊揃うのは27年ぶりくらいでしょう。
ボロボロのコミックスだけど、愛着を感じます。

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1992年に東京の賃貸で暮らしていた兄の一家は、その後転勤で大阪に数年間住みます。
大阪の東よりでしたので阪神淡路大震災の被害はあまりなかったようですが、
揺れには驚いたと話していました。
その後、関東勤務に戻り、マンションを買って長くなります。
マンガを勝手に持って行かれていたことはヤレヤレですが、
不要なものはさっさと捨てる兄が、
数度の引っ越しや地震を経て大事に持っていてくれたのは良かったです。

昨年は色々なことがあったけれど、嬉しかったことの一つ。
永遠の命はないけれど。
はるかなる一族に寄せて。

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2017年8月 6日 (日)

わが闘争

昭和四年生まれの父は、敗戦の影響で大学に行けなかったと話していました。
祖父のシンガポールからの引き揚げもまだで、米一俵の入学金が払えなかったと。
それで精神的におかしくなっていた時期があるんだと、
年をとってから話してくれました。
70歳まで働き引退した父は、
どうして日本や世界はあんなことになってしまったのか、
自分はちゃんとした教育を受けることが出来なかったけど、
それを知りたい、と話していました。
元々読書好きの父は、狭い自宅に本を増やさないようにと、
図書館に足しげく通い、本を借りて読むようになりました。
父は最期まで本を読み続けていました。
遺された読みかけの1冊は、アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』です。
最初は図書館で予約していたのが、もう取りに通うのが辛くなってきたのか、
アマゾンで購入していました。
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6月に自分がポーランドに行ってくると言ったら、
「アウシュヴィッツに行くのか」と言われました。
旅行先で自分が撮ったビデオを、父はいつも熱心に観てくれました。
帰ってきたら、アウシュヴィッツのビデオを見ながら、
何故ヒトラーの『わが闘争』に人々は熱狂したのか、
その理由について、
父の意見を聞けるのを楽しみにしていました。
しかし、父の最期は当初の医者の宣告よりあまりにも早く、
結局、父の意見は聞くことが出来ませんでした。
「ぼくらは、いつも、手おくれでなければならないのだろうか?」
『影の獄にて』のロレンスの言葉が頭に繰り返されています。

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2017年7月11日 (火)

怪獣

幼い頃、ウルトラマンはじめ怪獣特撮が大流行でした。
今でも懐かしく見ることがありますが、当時はずっと真剣に見ていました。
ある晩、怪獣が出てくる夢を見ました。
怪獣が叫びながら、こちらの方に近づいてきます。
逃げながら見上げるうちに、目が覚めました。
あーよかった、夢だったんだー。
そう思った次の瞬間、怪獣の声がまた聞こえて来ました。
どうしようと、怖くなって、けれどすぐに、それは父のイビキだと気づきました。
昔から父のイビキはひどく、母によく文句を言われていました。
特に酔って寝た時のイビキは大きく、それが子供部屋まで響き、怪獣の夢になっていたのです。

父の介護ベッドの横の床で寝ていて、ふとそんなことを思い出しました。
怪獣は時々大きなイビキだったり小さなイビキだったりを繰り返し、やがて静かで永い眠りに着きました。
目を閉じると怪獣は、昼寝している父にそっくりになりました。

7月9日、父、永眠。

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2017年6月27日 (火)

ワルシャワ歴史地区

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人魚像にお尻が!と、盛り上がっていたら相方に笑われました。

徹底的に破壊されながら、不屈の熱意で綿密に復元された世界遺産のワルシャワ旧市街。

そして、無事に日本に帰国しました。

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2017年6月23日 (金)

リプニツァ・ムロヴァナ

リプニツァ・ムロヴァナの聖レオナルド教会(ポーランド)。マウォポルスカ南部の木造聖堂群という世界遺産の一つ。

リプニツァ・ムロヴァナ

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2017年6月21日 (水)

アウシュビッツ

アウシュビッツ アウシュビッツ

ガス室のある建物、窓辺に飾られた白いバラ。
アウシュビッツの白いバラ

17年前、三原順さんの遺品の本が処分されようとしていた時。
自分より先に古本屋さんが一箱持って行ったのですが、その中に『夜と霧』がありました。
どこかで大切にされていますように。

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2017年6月20日 (火)

ビール

ビール
ビール飲んでます。
小さいプレッツエルのようなスナック、
ちゃんとプレッツエルっぽい味で結構おいしいです。

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2017年6月19日 (月)

いろいろ

ここしばらく色々あって、時間がありそうでなく、バタバタとしていました。
スタジオライフの「はみだしっ子」が決まったのも良かったです。
実は「エッグスタンド」を見に行った頃からこの話は知っていて、
そのころに何かできないか…など模索もしていたのですが、
それどころでない日々に埋もれてしまい、すみません。
今日から1週間ほど旅行です。
世界中、きな臭いことが多いですが、リフレッシュできたらいいなと思います。

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