2018年9月 2日 (日)

「祈り」三部作

岩波ホール創立50周年記念特別企画「祈り」三部作を観ました。
ジョージア(グルジア)のテンギズ・アブラゼ監督の『祈り』1967年、『希望の樹』1976年、『懺悔』1984年の3作、いずれもソ連統治下の映画。
http://www.zaziefilms.com/inori3busaku/

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全国巡回するようですので、これから観る方もいらっしゃるでしょう。
http://www.zaziefilms.com/inori3busaku/theaters/index.html

以下、ネタバレ注意です。

■『祈り』1967年/白黒/78分

ジョージアの作家・詩人ヴァジャ・プシャヴェラの叙事詩「アルダ・ケテラウリ」「客と主人」の2篇を元に映画化したもの。
「アルダ・ケテラウリ」の舞台はジョージア北東部の山岳地帯ヘヴスレティ地方にあるシャティリの村。
現在ロシア連邦の一部であるイングーシ共和国、チェチェン共和国との国境近くにあるヘヴスリの人々(ジョージア人、キリスト教徒)の村です。隣接するキスティの人々(イングーシ・チェチェン人、イスラム教徒)の村とは争いが絶えない。
アルダはキスティの男と勇敢に戦い倒すが、相手の勇敢さに敬意を表し死者を丁寧に扱う。
しかし、ヘヴスリの人々はこのことが因習の掟に反すると怒り、アルダの家を焼き払い追放してしまう。

「客と主人」の舞台は、国境を挟んだロシア側、キスティの人々が暮らすジャレガの村。
キスティのジョコラは霧深い山で狩りで道に迷った男に出会い、客人として家に招く。
客人を手厚くもてなす風習に従い、丁寧にもてなす。
しかし、その客人は多くのキスティの命を奪ったヘヴスリの男だった。
ジョコラは敵とは言え丸腰の客人を売ることはできない、家を出るまで待てというが、
村人たちはジョコラの家を襲い、ヘヴスリの男を殺す。
ジョコラの一家もまた村を追われ死を遂げる。

2つの叙事詩は、いずれも信仰や民族の異なる相手に敬意を払い、因習のもと悲劇に終わるもの。
しかし映画の冒頭には、「人の美しき本性が滅びることはない」という
ヴァジャ・プシャヴェラの詩「我が嘆願」の一節が朗読されている。

詩・映像とも、霧の描写が美しい。
「霧を寄せ集めた涙は神の命じたもの。」(「アルダ・ケテラウリ」)
「朝になり、夜を泣き明かした霧は、翼を畳み、
 白布を頭に巻いて山々の上で眠っていた。」(「客と主人」)

■『希望の樹』1976年/カラー/107分

ジョージアの作家ギオルギ・レオニゼが1962年に発表した短編集をもとにした映画。
20世紀初頭、革命前の激動する時代、東ジョージアのカヘティ地方が舞台。
映画の冒頭、レッドポピーの咲き乱れる野原の中で、白い馬が死んでいく。
ここは古戦場でここの草を食べさせてはいけないと長老は言う。
戦場のあとにレッドポピー…第一次世界大戦のイーペルを思い出す。印象的な冒頭。
村で暮らす様々な人たちの姿と、そして牧童の青年ゲディアと美しいマリタの恋が描かれる。
しかし、マリタは裕福な家に嫁がされ、二人の恋は引き裂かれる。
マリタが結婚後もゲディアを愛していたことを知り、マリタは村中を引き回され、泥の中で亡くなる。
希望の樹を探していた夢想家の村人は命を落としている。

マリタの暮らした家の廃墟に、ザクロの樹が赤い花を咲かせている。
「ほこりとごみにまみれた所にこれほど美しい花が咲くとは。
 美しさはどこから来るのだろう。どこへ行くのか。どこに消えるのか。
 しばし姿を隠すだけなのか」

■『懺悔』1984年/カラー/153分

主な撮影場所はバトゥミというジョージア西部黒海沿いの待ちのようですが、架空の地方都市が舞台。
元市長の墓が何者かに暴かれ、遺体が遺族の家の庭に置かれる。埋めてもまた同じことが繰り返される。
やがて犯人の女が捕らえられ、裁判にかけられる。
女の口から、自分の両親を含め、多くの無実の市民が元市長による粛清で強制収容所送りになった歴史が語られだす。
元市長の息子は、女の訴えの真実を認識しながら、策を講じて女を精神病院行きにしてしまう。
それを知った孫の少年は、こんな家はもうたくさんだと叫び、悲壮なラストへと続く。

個人的には、三原順「Sons」を思い出していました。

見終わった最初の感想は、よくこの映画をソ連統治下で撮れたな…でした。
パンフレットの解説を読むと、いくつか経緯が書かれていました。

当時のジョージア共和国第1党書記が映画を支持していて、
映画でなく検閲が必要ないテレビドラマとして撮影するよう助言したこと。
孫の少年役の役者が1983年10月に国内線のハイジャック事件を起こしてしまい、
スタッフも作品も疑われて撮影が一時中断したこと。
1984年にやっと映画は完成したが、KGBから「反ソビエト的」とされ、公開できなかったこと。
押収を恐れてコピーをとったビデオテープが出回って、それを見て検挙された人も多かったこと。
別のタイトルが書かれたフィルム缶に『懺悔』のフィルムを忍ばせモスクワに運んだこと。
公開された映画はペレストロイカの象徴となったこと。

やはり、様々な困難があったのですね。
前作の『希望の樹』では革命を待ち望む村人も描かれ、ソビエト的には問題ない感じでしたが、
『懺悔』はスターリン時代の粛清を批判するような内容でしたので。

パンフにはこんな監督の言葉も載っていました。

「私たちは血なまぐさい方法で、長い間、善良さを根絶やしにしてきたことの報いを受けています。
 自分の過去を葬った者は、現実に近づくことも、未来を見ることもできないのです。
 最大の罪は恐怖なのです。」

■ヴァジャ・プシャヴェラ作品集

ヴァジャ・プシャヴェラの日本初の訳本が出ていたので買ってみました。

ヴァジャ・プシャヴェラ著・はらだたけひでイラスト・児島康宏訳
『祈り─ヴァジャ・プシャヴェラ作品集』
2018年、冨山房インターナショナル

映画になっているもの含め叙事詩3篇
「アルダ・ケテラウリ」
「客と主人」
「蛇を食う者」
3つの散文の短編
「仔鹿の物語」
「ヤマナラシの木」
「カケスの結婚式」

以上の日本語訳が収められています。

散文の方は動物や木が主人公で、童話のような感じです。
最後のカケスの話だけハッピーエンドな感じでしょうか。

立野は「ヤマナラシの木」が印象的でした。
山のてっぺんで一本だけ生えたヤマナラシの木が主人公。
孤独でさみしくて、遠くの森でヤマナラシがたくさんあるのを、
いつもいいなぁと思いながら兄弟たちに会いたいと思っていて。
飛んできたたった1枚のヤマナラシの枯葉を宝物のように持っていたり。
鳥さんが巣でも作ってくれないかなと思っているけど、
山のてっぺんのヤマナラシの木の周りは放牧に来た人の休憩場所でもあり、
そんな人が来る目立つところに巣を作る鳥もいなく。
そんなヤマナラシの木は厳冬に苦しんだ人々の最後の薪にされ感謝されるのですが、
「最後にヤマナラシは感謝されたが、その感謝をもう自分では感じることができなかった」
と終わるのです。

これだけ読むと、なんの報いもない話のようにも思えますが、死後に作品が評価された画家たちも、同じようなものと言えばそうであったのではないかとか、そんなことを考えてしまいました。

■1984年といえば

立野が初めてタルコフスキー監督の映画を観た年の気がします。
あの頃はまだ、ベルリンの壁が崩壊するとは思ってもいなかった頃で、
ソビエト映画といえば直接的な政府批判が出来ず抽象的なものが多かった気がします。
そのころに、『懺悔』のような映画がすでに作られていたことは、少なからず驚きでした。

そういえば、タルコフスキー監督『ストーカー』を観た後、
谷山浩子さんがオールナイトニッポンで『ストーカー』を観てきた話をしていて、ありゃ、同じ上映会で見てたのかと思った記憶があります。

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岩波ホールでは秋に「ジョージア映画祭」もあり、こちらもいくつか見てみたいと思っています。

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2018年8月19日 (日)

宵待草

弥生美術館「文豪・泉鏡花×球体関節人形」へ。
人形作家さんたちがクラウドファンディングして実現したのですね。

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そして、竹久夢二美術館「明治の夢二」展。
竹久夢二の「宵待草」の歌と語りのイベント有り。

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「宵待草」は、明治末の千葉県銚子での「ひと夏の恋」から生まれたのだと。
海鹿島から君ヶ浜への細い道での出会い。
銚子生まれの私の母は、昔時々「宵待草」の歌を歌っていた。
この歌が銚子で生まれたと知っていただろうか。

次回の「一条ゆかり展」のチラシや、
10月に原宿である萩岩睦美さんの再原画展のポストカードもいただいてきました。
どちらも行きたいな。
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2018年8月12日 (日)

長くつ下のピッピの世界展

東京富士美術館で開催中の「長くつ下のピッピの世界展~リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち~」に行ってきました。

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日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念
「長くつ下のピッピの世界展~リンドグレーンが描く北欧の暮らしと子どもたち~」
東京富士美術館:本館・企画展示室
http://www.pippi-ten.com/

「スウェーデン王立図書館所蔵、ユネスコ“世界の記憶”に登録された『長くつ下のピッピ』等の貴重な原画をはじめ、
スウェーデン、デンマーク、エストニア他より、「ピッピ」「ロッタちゃん」「やかまし村」シリーズ等の原画や、
オリジナル原稿、愛用品など約200 点が出品され、その多くが日本初公開」

「リンドグレーンがタイプし、愛娘の10歳の誕生日に贈った『長くつ下のピッピ』原稿がスウェーデン国外に初出展!」

これは凄い、リンドグレーンさんが1944年に娘のために手作りした本の本物が来てるんですね。
リンドグレーンさんの作品では、バムセが出てくる「ロッタちゃん」シリーズの方が個人的には推しなのですが、これはもう行くしかないな…と。

八王子からバスで富士美術館へ。

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展示冒頭のリンドグレーンさんの文章にいきなりつかまります。

「本を手にした子どもはひとり、魂の秘密の空間に、自分だけの絵を描きます。
 そうした絵は、何にも勝るものです。人間には、このような絵が必要です。
 子どもたちの想像力が絵を描けなくなる日は、人類が貧しくなる日です。
 世界で起きたあらゆる偉大なできごとは、
 初めは誰かの想像の中に生まれました。
 明日の世界がどんなふうになっているか、その大部分は、
 今まさに読むことを、学んでいる人たちの想像力の大きさにかかっています。
 だからこそ、子どもたちには本が必要なのです。」

そして1944年5月21日、愛娘の10歳の誕生日にプレゼントした手作りの本の展示。
娘が思いつきで「長くつ下のピッピ」の話をしてと言い、
それにこたえて作って言葉で聞かせていた物語が、
初めて本の形になったものです。

ピッピは世界一強い女の子、自由に生きている。
リンドグレーンさんは自身の作品について解説することは好みませんでしたが、
という前置きとともに、
ピッピについて語ったことが少しだけ引用されていました。

「もし私が、ピッピというキャラクターに、
 子どもの読者を面白がせようと思う以外に
 特別な意図を込めたとするならば、
 力を持ちながらも、その力に振り回されないことが
 可能であるということを示したかったのだと思います。
 おそらく、それが人生でいちばん難しい課題でしょうから。」

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そして、ピッピの挿絵やマンガを描いていたイングリッド・ヴァン・ニイマンさん。
残念ながら生き続けることができず早くにお亡くなりになっていること、図録に書かれていました。
日本の芸術にも興味を持たれていたようです。
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イングリッド・ヴァン・ニイマン画
「赤い着物を着た日本の女の子」と「ツルのデザインの着物を着た日本の女の子」
(1957-1959年)

意外に撮影可のものがあり、ちゃんとしたカメラを持っていけば良かったです。

会場では、1978年にリンドグレーンさんが
ドイツ書店協会平和賞を頂いた時のスピーチが流されていました。
「ネバー・バイオレンス」と題されたスピーチは、
当時やや過激で物議をかもしたようですが、
子どもに暴力をふるえば暴力をよしとする大人になる、暴力のない世界のためには、
まず家庭内の暴力を無くすことから始めなければならない、という訴えに聞こえました。
そしてその翌年、スウェーデンで世界で初めて子どもへの体罰を禁止する法律が成立しました。

アストリッド・リンドグレーン著、石井登志子訳
『暴力は絶対だめ!』
2015年、岩波書店
(1978年のスピーチを書籍化したもの)

それから、ピッピ以外の作品の展示が続きます。
『やかまし村の子どもたち』、そして『ちいさいロッタちゃん』。
ロッタちゃんの秘密の隠れ家に、バムセいました!
ヘロヘロですが(笑)、いいやつでした。
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グッズ類はもちろんピッピ中心ですが、やかまし村やロッタちゃんものも少しありました。
グッズになっている絵は、もちろん原画来ています!
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自分の家からはちょっと遠かったですが、行ってよかったです。

東京会場は9月24日までで、その後巡回するようです。

 宮崎:2018年12月15日(土)~2019年1月27日(日)
 京都:2019年2月8日(金)~2019年3月4日(月)
 名古屋:2019年4月27日(土)~6月16日(日)
 福岡:2019年7月6日(土)~8月25日(日) (予定)
 愛媛:2019年9月7日(土)~11月4日(月)

正確なことは公式サイト http://www.pippi-ten.com/ にてご確認ください。

最後に少々付け足しの話。

かつて高畑勲氏・宮崎駿氏・小田部羊一氏らは『長くつ下のピッピ』をアニメ化するため
東映動画からAプロに移籍したけれど、版権許可が取れず幻に終わったといいます。
私がその話を初めて知ったのは、1984年に出た
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『アニメージュ増刊 映画「風の谷のナウシカ」ガイドブック』(1984年、徳間書店)
に収録されていた宮崎駿氏へのインタビューでした。
「宮崎駿 自作を語る」というその記事で、「ピッピ」に関する補足として
小田部羊一氏のコメントが紹介されているので、一部引用します。

「『アリババ』を最後に、宮さんと高畑さんとぼくは東映動画をやめました。
 というのは、すでにAプロに行っていた大塚さんが『長靴下のピッピ』をやるというので、
 その魅力にとりつかれ、3人ではせ参じたというわけです。
 その海外ロケに現場の責任者として宮さんがスウェーデンに行ったのですが、
 原作者の許可がとれず、ついに断念しなければならなかったのです。
 その段階では、高畑さんの脚本はもちろん、テストフィルムまででき上がっていたんです。
 ぼくらはやれるものと信じていただけに、悲しかったですね。
 『ピッピ』をやるつもりで東映動画をやめていったのですから、いっぺんに目的がなくなったわけです。
 その思い入れが『パンダコパンダ』の中にピッピを登場させることになったのですが、
 正直、中途半端に終わりましたね。」
(「宮崎駿 自作を語る」に補足された小田部羊一氏のコメントより)

このインタビューの中で、宮崎駿氏は、『ピッピ』のことを「非常に意味があった」と振り返っています。

「『パンダコパンダ』は『ピッピ』のテーマを最初にやった作品。だから過渡的なんですよ。
 マンガと高畑勲の生活アニメーションの。生活アニメーションというか、日常を舞台にしたものとの。
 日常性を重視していくということだと思います。日常の中におきたひとつの出来事に、
 主人公がどういうふうに対応していくかという。『パンダコパンダ』はやっぱり過渡的ですね。」
(「宮崎駿 自作を語る」より)

私が『長くつ下のピッピ』に初めて興味を持ったのが、この話を知ってからです。
今は、こんな本が出ているのですね。

高畑勲・宮崎駿・小田部羊一著
『幻の「長くつ下のピッピ」』
2014年、岩波書店

いつか読んでみたいと思います。

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2018年8月 2日 (木)

遠方より訃報あり

義姉の父君がお亡くなりになりました。
去年の手術、ここ数ヶ月の入院、
義姉は働きながら毎週末のように帰郷してました。
私自身はあまりお会いする機会はなかった方ですが、
義姉にはこちらの両親のことでお世話になっており、
感謝しています。
どうぞ、安らかに。

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2018年7月28日 (土)

松屋銀座「羽海野チカの世界展」

松屋銀座で開催中の「羽海野チカの世界展~ハチミツとライオンと~」に行ってきました。

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2年前の西武池袋本店での原画展も観ているし、
入場者特典「3月のライオン」13.1巻が貰えればいいくらいに思ったのは間違いで、
結局気づくと2時間近くいました。

特段の解説があるわけではないのですが、羽海野さんの絵は、
見てると何だか幸せな気分になります。
キャラクタへの愛情が伝わってくるからでしょうか。

混雑で見るのに並ぶこともありましたが、並びながら「3月のライオン」13.1巻を読めるので飽きません。

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13.1巻には、まず羽海野チカさんの「ごあいさつ」。

 「私が会社員だった頃
  定期を使って行く事のできる
  一番素敵な街が銀座でした」

で始まる銀座の思い出、そして、そんな銀座で自分の原画展が開かれることに
「とても不思議で とても嬉しいです」という感謝の言葉が綴られています。
10ページのマンガ「あかりの銀座物語」には、銀座の店で働くあかりさんの奮闘ぶりが楽しく描かれています。

羽海野チカさんがカバー絵を描いた本の紹介で、大槻ケンヂ「神菜、頭をよくしてあげよう」というのがあって、てっきりこれはキャプションの誤字(筋肉少女帯の曲名は「香菜、頭をよくしてあげよう」なので)と思ったのですが、調べたらこれで正しいのですね。私が知らないだけでした。


大槻 ケンヂ著『神菜、頭をよくしてあげよう』2003年、ぴあ。

そして驚いたのは、「Chica Umino ネームと戦う」と題された撮影可の無料ゾーンの展示。

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1枚の紙に8ページ分に仕切り線を入れ、2枚あれば連載一回分が入るようにして、全体のネームを考えるスタイル。
2枚のネームは、練り直し描き直し概ね4回目くらいで収束。

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ついで、1枚に2ページ分の「本ネーム~セリフ入りコマ割り」。

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このすべての過程のネームが、「3月のライオン」79話~82話(副題「焼野が原」)について、すべて展示してありました。
これが敢えて撮影可の無料ゾーンに置かれていたこと、敬服いたしました。
ちなみに、83話副題「ここにいること」の同様の展示は、有料ゾーンの最後の方にありました。

79話~82話「焼野が原」・83話「ここにいること」が収録された「3月のライオン」第8巻、2012年、ヤングアニマルコミックス。

幸せな気持ちをたくさん戴いてきました。

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2018年7月25日 (水)

今朝、水やりにベランダに出たら、
クリスマスローズの傍らで蝉がお亡くなりになっていました。
綺麗な姿でしたので、埋めに行ってきました。
ガラスの箱には入れませんでした。

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2018年7月22日 (日)

「かこさとしのひみつ展」と「未来のだるまちゃんへ」

川崎市市民ミュージアムの「かこさとしのひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこう-」に行って参りました。
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展示解説はすっきりした文章で深い意味を伝えており、子どもを連れてきた親御さんたちも熱心に見る姿が印象的。

「だるまちゃん」は、ロシア(当時ソビエト)の絵雑誌で出てきたマトリョーシカがヒント、
郷土玩具を主人公にしながら民族主義的押しつけがましさがないところに魅力を感じたそうです。
戦後日本、外国のものをありがたがる風潮の中、敢えて「だるま」にしたとのこと。

そしてところどころに添えられた、かこさとし氏のメッセージも魅力的でした。

図録はないようで、売店で文庫の『未来のだるまちゃんへ』を購入、勢いで一気読み。
今日予定していた作業は終わらなかったけど、読んで良かったです。

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かこさとし著『未来のだるまちゃんへ』2016年、文春文庫
(2014年文芸春秋刊の文庫版)

冒頭はこんな風に始まります。

 敗戦の時、僕は十九才でした。
 僕は「終戦」と言わないで「敗戦」と言うのですが、それは戦争に負けて、てのひらを反すように態度を変えた大人たちを見て、ものすごく失望憤激したからです。

そういう自分も軍人を目指していたことを振り返り、しかし、視力が悪く軍人にはなれず、それで工学の道を選んだと。
そして敗戦。軍人を目指した仲間はみな死に、生き残ってしまった。
「自分は何をすればよいのか。少しでも償いが出来るのか」

 大人はもう信用できない、飽き飽きだ。自分もその一員だった。大人ではなく、せめて子どもたちのためにお役に立てないだろうか。せめて自分のような後悔をしない人生を送るよう、伝えておきたい。
 だんだんとそう考えるようになりました。
 これから生きていく子どもたちが、僕のような愚かなことをしないようにしたい。子どもたちは、ちゃんと自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の力で判断し行動する賢さを持つようになってほしい。
 その手伝いをするのなら、死にはぐれた意味もあるかも知れない。

福井の里山で遊んだ子供時代、絵を描く楽しさを教わった人、東京への転校、
飛行機乗りになりたくて成れなかったこと、自分で雑誌を作って俳句を描いたこと、
空襲で家は全焼、兄の死、敗戦、
東大で演劇研究会に入ったが工学部のせいか裏方しかやらせて貰えずそれでも頑張ったこと、
再び絵を描き子ども相手に紙芝居をやったこと、
川崎のセツルメントで子どもと向き合って学んだこと、
絵本を出してもらえるようになったこと。

最終章は「これからを生きる子どもたちへ」。
見取り図を描くように絵本を描いているということ、
そのために綿密な調査をしていること、
『万里の長城』は30年かかったこと、
アインシュタインをとりあげた『がくしゃもめをむくあそび』で原爆や原発のことに触れたが廃棄物の処理費用や事故時の対応などが調査してもデータがなく疑問に思ったこと、
「子ども向けに原発のすばらしさを伝える本」を頼まれ「喜んで協力するからデータをくれ」と伝えたら連絡がこなくなったこと、
「戦争」を描いた絵本を出したいが「何故おこるか?」には「経済」を理解しないといけなくまだできないこと、
「僕自身、敗戦後七十年近く経ったのに、的確な「戦争」の絵本、非戦の絵本を描く見取り図ができていないのが恥ずかしいかぎりです」。

 生きるということは、本当は、喜びです。
 生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。
 もう何も信じられないと打ちひしがれていた時に、僕は、それを子どもたちから教わりました。遊びの中でいきいきと命を充足させ、それぞれのやり方で伸びていこうとする。子どもたちの姿は、僕の生きる指針となり、生きる原動力となりました。それを頼みにして、僕は、ここまで歩いてきたのです。
 だから僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
 この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がってほしい。
 そうして、自分たちの生きていく場所がよりよいものになるように、うんと力をつけて、それをまた次の世代の子どもたちに、よりよいかたちで手渡してほしい。
 どうか、どうか、同じ間違いを繰り返すことがないように。
 心から、そう願っています。

読み終えて改めて「かこさとしのひみつ展」を想うと。
幼少期の絵日記から始まり、
サラリーマンをしながら紙芝居などで子どもと向き合い生きる意味を探す姿、
色々な知識を深く調べて描いた見取り図のような絵本、
展示場の中央の床にはけんけん遊びの模様が描かれ、子どもたちが遊んでいる。

会場全体が彼の人生の絵物語のようだった気がします。

自分も色々あって、また本も集中して読めない状態だったりしましたが、一気に読み切ることが出来ました。
1989年に、手塚治虫さんの『ガラスの地球を救え』を読んだ頃のことを思い出したりもしました。

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たくさんの刺激をいただいて、感謝しています。

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2018年7月16日 (月)

普通救命講習

東京防災救急協会の普通救命講習を受講してきました。
http://www.tokyo-bousai.or.jp/lecture_kousyu/

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事前に申し込みをし、コンビニ等で教材費を払って、当日会場に持っていきます。
会場は防災館の体育館。エアコンの利き目も限界のようで、それなりに暑い状況。
休憩をはさみながら3時間、講習中も遠慮なく水分補給するようにと。
祝日ということもあるのでしょうか、参加者は10代から60代くらいまで幅広く、
男女比は6:4くらいだったでしょうか。若い参加者も目立ちます。

まずはテキストを読みながらの講習、そしてすぐに実技。
人形相手に心肺蘇生・人工呼吸、練習から更に2セット、結構体力を使います。
休憩後はAEDを使った実践的な講習。AEDを持ってきたけれど使い方が分からないという人に手伝ってもらいながら、
胸骨圧迫と気道確保をなるべく止めずにAEDの装着とAEDの判断に従った行動を取る訓練を受けます。
AEDは電源さえ入れれば音声ガイドに従って誰でも使用できるとは言われるものの、
いざ使うとなるとどうしてもしり込みしそうです。
人形相手の研修でも、1度でも使っておいてみて良かったと思います。

いくつかある応急手当講習会の中で一番初歩的なものではありますが、
実際に心肺蘇生・人工呼吸・AEDの実技指導を受けられますし、
1400円という受講費は安いと思いました。

最後に「救命技能認定証」を受け取って終了。
みなさん暑い中、真剣に受講されていたのが印象的でした。

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「物語を創る・描く」

女子美術大学オープンキャンパス特別講演、萩尾望都先生漫画の世界「物語を創る・描く」を聞きに行って参りました。

以前、イルカさんとの講演があったのと同じ教室です。
 

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http://www.joshibi.net/media/oc2018/lecture/

取り上げていた作品は手元のメモでは、
「ビアンカ」
「トーマの心臓」
「マージナル」
「銀の三角」
「スター・レッド」
「柳の木」
「ポーの一族」
あと、質問の際に
「11人いる」
「エッグ・スタンド」
も。

メモからいくつか。
「トーマの心臓」…今なら大人の感情が入ってしまうので、違う展開にしてしまうかも知れない。
「マージナル」…女だけが生き残った世界のSFをヒントに、男だけにした。頭の中でキャラを育てると、キャラ同士が頭の中で会話を始めてくれる。
「スター・レッド」…3日後に予告を出すと言われタイトルをまず先に、当時スター・ウォーズが流行っていたので、とりあえずスターで始めた。
「柳の木」…表紙はネタバレにならないよう、敢えてシンプルにした。

そして、「ポーの一族 ユニコーン」、月刊flowers(フラワーズ) 2018年7月号の冒頭について。
当初はミュンヘンのマリエン広場の絵から始まるものだったが、カラー3ページということで、流れを変更した、というお話と共に、元々はどういう流れだったかを、その場で2ページほどサラサラと描いて下さいました。
そして、これだと冒頭のカラーページに主人公エドガーが入らないので、変更したのだと。
扉の前にページを置くのは割と好きで、その後見開きの扉で好きな絵を描きたかったと。
見開きの扉は現在公式サイトに掲載されている絵ですが、
http://flowers.shogakukan.co.jp/rensai/poenoichizoku-unicorn.html
これは、マリエン広場のからくり時計っぽい雰囲気を意識して描いたのだそうです。素敵ですね。
今回もエドガーとアランは頭の中でたくさん会話してくれた、長い間放っておいてごめんね、と。
ただ、「続きはまた来年」「しばらくアランはトランクに入ったまま」というお話でちょっとショック(苦笑)

以上、全く書ききれないくらい色々なお話を聞くことができ、濃厚な1時間でした。
ありがとうございました。

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2018年7月 9日 (月)

一年

父の死から一年になります。
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2019年までの日記帳、2017年5月28日「今日から能登半島へ旅行」が最後。
カメラ好き最後の愛機EOS Kiss X7i、残された最後の写真は金沢駅。
歩けなくなった父に頼まれ買いに行った「週刊新潮」、創刊から愛読していた。
定期入れには相方の名刺、お守りのように。
痛み止めの薬で朦朧とした意識の中、何かを書きたいペンの跡。
かろうじて私の名前と感謝の言葉を見つける。

ふがいない息子ですみません。
今日は少し泣くことを許してください。

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